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発明・温暖化・海外旅行について投稿します

蟻博士

私は6人兄弟の末っ子として生まれた。そのため、兄弟が学校へ出かけると私はいつも一人ぼっちだった。これが私の才能を伸ばした。兄弟が学校に出かけると、父も母も先生で忙しかったのであろう。幼稚園へ行く頃の記憶は、はっきりしているのでおそらく3~4才だったと思われる。毎日朝からかんかん照りの日も蟻に没頭し何時間も観察に熱中した記憶がある。家の粗末な門を出て右側の地面がお気に入りだった。蟻はどこへ行くのだろう?何をしているのだろう?土の中の巣はどうなっているのだろう?

釘などを持って蟻の巣の中がどうなっているのだろうと掘り崩した。しかし、釘では太すぎて、内部の巣を観察するのはいつも不可能であった。帽子もかぶらず,大変熱かったのを思い出す。周りの方からは「蟻博士」として有名だったらしい。変わった子であった。

当時1950年頃は戦後まもなくであり、オモチャなどほとんどなかった。道路が舗装されておらず道路際には蟻が行列をつくっていた。土の巣の中はどうなっているのだろう?

ありは土の中で何をしているのだろう?                   

なぜか異常に観察する癖は今もって衰えていない。ぼんやり見ているのではない。頭の中はいつも なぜ?どこで?何をしているの?とか。

後年観察こそ真理探究の大きな糸口であり、「なぜ」という疑問符を持続しながら観察する癖が身についた。なぜ?がなければ眼に力がない。頭脳に力がない。なぜこそは発明発見のエンジンである。後年はんだ付技術に関わり、某社退職後自分の会社を設立、直後はんだ付技術に関して一冊の図書を出版した。思えばこの本は全て理論で、なぜかを一点の隙間もなく説明したのが良かったのか、はんだ付業界では異例の第4版まで増刷された。                         

おかげで、ある重鎮からは「間違いなく名著」だとおだてられたが、しかし、またあるはんだ付関係者からは「全部書くのではないよ」と注意を受けた。これでははんだ付コンサルタントが不要になってしまう。なるほど、今に至るまで世間がまるで分かっていないのかも。その後、この本をテキストとして、数年セミナーを開いた。毎回多くの方に出席いただき、とても新会社の力になった。

その後、次第に持ち前の発明に興味が移っていった。従来では考えられない高感度の温度計を開発した。このおかげで日本最大の学会である日本機械学会からその最高の賞である優秀製品賞を受けることとなった。「三つ子の魂百まで」と言うが、まさにこのことかと。

ちなみに私は68才だから、このことわざを信じればまだ32年のチャンスがあることになる! 実は今、別件で再度日本機械学会の優秀製品賞を申請している。

教育に「教え」は要らないが私の持論である。質問のみを投げかけよ!即ち自力で再発見させよ!それでこそ、本当の実力がつく。教育という言葉を「再発見のお手伝い」とするのがいいだろう。先生は黒板に なぜこうなっているのか? どうしたら改善できるか? あと1時間は質問に答えるだけでいい。たとえ教室が静かでも生徒の頭の中は最高の活気にあふれており、将来ゼロから這い上がっていく本当の研究者が育つ。でなければ、役に立つ開発者が育つはずがない。以上はもちろん科学的分野前提の話である。