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父の思い出

私の父は海軍で、戦艦霧島に乗っていた。国語の習字の先生だったので、海軍の構想として次の人材を教育する必要があり、乗艦期間が短く、結果私は戦後2年後に生まれることができた。なお、霧島は父が退官後、数か月後に撃沈された。

私が10歳の頃、昭和32年頃世の中が落ち着いた頃、戦艦霧島で勤務した戦友が家に来て 2人ともとても喜んでいた。戦友の友情はとても暖かいように感じた。

私は6人兄弟の末っ子だったが、なぜか大人同士の会合にいつもじっと参加する癖があった。何かを学んでいたと思う。

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サンディエゴ軍港の空母

写真はサンディエゴ軍港、これから新型空母を見学。艦内は広く昼飯も艦内で食べた。
思わず、旧日本海軍と比較した。

先の戦争では、一般商船・貨物船も主とし米軍空母から発艦した飛行機や潜水艦にやられ、国力が消耗し、敗れたと言える。
が、日本海軍はアメリカの商船や貨物船を殆ど攻撃撃沈しなかった。目の前に戦々恐々とする貨物船が多数いても大半何の攻撃もしなかった。

米軍はあらゆる日本の貨物船を商船を主として台湾海峡などで手当たり次第撃沈した。
私が15歳の頃と思うが、米海軍潜水艦艦長の感想をテレビで聞いたことがある。

台湾海峡で撃沈しても、しても日本の貨物船、商船が来る。頭がおかしくなるほどでした。ただ待っていればよかったのです」

軍服は五十歩百歩であったが、実は武士とカウボーイとの戦いだったのだ。

町人は切らない武士と、インディアンを皆殺しにするカウボーイとの戦いだったのだ。

日本人はもう少し誇りを持っていい。卑屈になる必要はない。